大乗仏教文献紹介(読書履歴)

有賀裕二

平成14年3月

経典はみな口伝伝承のものを後代の人々が編纂・文字化したものである。大乗経典はいわゆる「大乗仏教運動」のなかからつぎつぎと誕生し、そして中国に輸入され漢文に翻訳された。法華経をはじめとした大乗経典は、中国皇帝・太宗の命により、国家事業として、玄奘(三蔵法師)のような不世出の翻訳家の監修下につぎつぎと漢文に変換され、それらが日本に伝えれるのである。大乗教(Mahayana Buddhism)は菩薩行実践の思想運動である。印度は仏教国でないが、大乗教は印度でいまなお大変な尊敬を受けている。マハトマ(大聖)‐ガンジーは20世紀の非暴力平和運動の大家として名高いが、ガンジーが日本人僧侶である藤井日達師(日本山妙法寺)に帰依し、法華経を受け入れたことはあまり知られていない。聖徳太子以来、法華経に象徴される大乗仏教が1000年以上受け入れられてきた国はわが国だけである。とくに法華経は源氏物語をはじめ国文学へ甚大な影響を与えた一方で、もちろん江戸時代の国学思想などからの厳しい批判に晒された。とはいえ、大乗経典の思想が完全に抑圧され捨て去られたことはなかった。隣国の朝鮮も中国も事情は異なる。日本文化はこの意味で特殊であった。

日本が世界に誇れる文化はみな、哲学上、中国は陳・隋の時代、天台山宗祖の天台智ギ[表示用フォント不足のためカタカナ使用]大師の「止観」のアイディアに遡ることができる。止は雑念を止める、観は一念三千の観察である。止なかの観法であるが、同時に、観のなかの止法である。「観」の働きを止め、観を超えた「行」から生じる意識の底流に人類不変の平等な精神を見出すのである。天台(智ギ)大師は、釈尊以降、龍樹(ナガルージュナ)に続く仏教史上の大天才である。龍樹が法華経を賛美し、そして智ギこそが法華経の解釈を確定した。禅も能も茶道もみな「止観」なしにはないように思える。止観は「行」と結びついている。もともと仏教は「行の哲学」である。むずかしい分析は仏教学者にまかせるとして、私は道元禅師をつうじてはじめてこのことを学んだ。道元著『正法眼蔵』はきわめて奥深い哲学研究書であり、20世紀に登場した西欧の実存主義哲学に700年の時と国を越えて強い感銘を与えた。ところが、この『正法眼蔵』の大半は法華経の引用と研究から成り立っているのである。最澄に始まる日本の天台教学の基が天台智ギである以上、日蓮のみならず道元もまた法華経の信者であることになんの不思議もなかった。法華経のなかでも有名な如来神力品(法華経第二十一章)は、只管打座一筋の道元が臨終に際して読まれたお経である。そして鎌倉時代に登場した民衆仏教は意識的、無意識的であれ、過去現在未来の三世にわたる「供養の文化」とともに「止観の実践」に力点を置いたのである。日蓮と法然浄土宗はたがいに反目したが、親鸞は『涅槃経』を最後まで捨て去ろうとしなかった。涅槃経は諸経のなかでも成立時期も内容も法華経に一番近似しているのである。

ごく簡単であるが今述べた日本仏教史の見通しは、これから紹介する文献を学ぶことをつうじて私自身で得たのもである。私は鎌倉三大仏教の祖師である道元、親鸞、日蓮をつねに比較してきた。仏教研究は原典をていねいに勉強することが大切である。しかし、本の上で良い師を見つけても、素人にとって、道元の読み下し文でさえとてもむずかしい。これは日蓮であっても親鸞であっても同様である。この場合、古文と現代語訳対照できるものがぜひ望まれる。素人の仏教研究にとって、まず文献探しが本当に大変である。私は三十歳を過ぎてはじめて仏教に興味をもった。般若心経から入門した。そして、道元をつうじて法華経を勉強することになった。私は現代語訳を中心に勉強していくほかなかったが、幸いに、日本には、細々としているがこれを支えてくれる文化が存在していた。以下、この脈絡で、私の読書履歴を列挙する。関心ある諸氏の役に立てば幸いである。翻訳は注意深さと勇気が必要で、誰もが訳者になりたくないような作業である。だからこそ、価値がある。学識なしには原典は理解できない。同じことであるが、学識が低ければ翻訳は完成しない。読み下し文と現代語訳対照のものは読者にどれほど重宝なものか測り知れないが、対照文を掲載するのはきわめて勇気のいることなのである。これはどの学問でも同じであり、どれだけ良い翻訳をもつかは、やはりその社会なり集団なりの「文化」を示すのである。なお、戦前まで漢文の読み下しが「翻訳」であった。いまの時代の翻訳は読み下した「古文」の翻訳(現代語訳)である。

私が仏教を知るのは遅かった。かつて私自身はもっと早く大乗教を知っていれば良かったと嘆いたことがある。それを聞かれた高須賀義博先生(故人・一橋大学経済学部教授)は、「時差出勤」みたいなことを言ってもらっては困るよ!と朗らかに言われた。いま思い起こすと、思想問題には時差出勤のように「時間の順序の入れ替えで困難が解消すること」などありえないよ、ということであったのだなあと思う。自分の過去を振返ってみれば、やはり時差出勤はなかったのかもしれないが、効率的な勉強はやはり必要だと思う。その意味で、諸氏に読書履歴を披露するのも無意味ではなかろう。

冒頭に述べた事情は田村の著名な解説書より適宜学ぶことができる。

田村芳朗『法華経-真理・生命・実践』中央公論社・中公新書(196)、昭和44年。

以下紹介の著作は、中央公論社(現・中央公論新社)、講談社から刊行されたものが多く、比較的入手しやすい。また、これから紹介する解説者、訳者には、当然、各宗門の寺院関係者も含まれるが、東大と京大の哲学科に関係する人が多い。田村も東大仏教哲学の教授であった。

1. 法華経

  • 玄奘訳『妙法蓮華経并開結』、平楽寺書店[大正時代からのロングセラー。音訓両読および訓読のみのものもある。

これを下記の現代語訳と対照させればよい。

  • 『大乗仏典第4巻 法華経I、II』(松涛誠廉・長尾雅人・丹治昭義訳)、中央公論社、昭和50年~51年
  • 『法華経』(三枝充悳訳)、第三文明社、1978年

田村芳朗の発案で、漢文の読み下し文ではなく、和歌短歌の美しさを経典に持ち込もうとすると試みとして「和訳の試み」がある。ただし下記の和訳は全訳ではなく抄訳である。

『和訳・法華経』(坂輪宣敬訳)、東京美術、平成3年[「和訳」は「漢文読み下し」ではなく「七五調」を意味する。]

2. 天台および関連書

  • 『国訳一切経 和漢選術部3 諸宗部三 摩訶止観』(田村徳海訳)、大東出版社、昭和十四年初版、平成年間再版

このシリーズに、『経疏部一 妙法蓮華玄義』『経疏部二 妙法蓮華文句』があり、以上併せて三冊が天台大師の三大著作である。ただし、これらは現代語訳ではない。以下の文献は現代語訳である

  • 『大乗仏典中国・日本編第6巻 摩訶止観』(村中祐央訳、解説)、中央公論社、昭和63年
  • 『大乗仏典中国・日本編第16巻 聖徳太子・鑑真』(高崎直道編)、中央公論社、1990年
  • 『大乗仏典中国・日本編第17巻 最澄・円仁』(木内暁央訳、解説)、中央公論社、1990年

3. 道元および関連書

  • 『全訳・正法眼蔵 巻一~巻四』(中村宗一訳)、誠信書房[読み下し文と現代語訳対照のもの]昭和46~47年
  • 『大乗仏典中国・日本編第23巻 道元』(上田閑照・柳田聖山編、解説)、中央公論社、1995年
  • 近松良之『法華経と[逆読]正法眼蔵』、東方出版、1992年
近松は東大美学出身の筑波大助教授であった。私が道元を学んだときの感想が、近松の遺著によって論証されていたことは驚きであった。
  • 玉城康四郎『仏教の根底にあるもの』、講談社学術文庫(731)、1986年

玉城は戦後、東大教授を長年務めた仏教研究者で、道元、親鸞の思想比較が詳しい。

4. 親鸞および関連書

  • 大乗仏典第6巻 浄土三部経』(山口益・桜木建・森三樹三郎訳)、中央公論社、昭和519年
  • 『大乗仏典中国・日本編第21巻 法然・一遍』(佐藤平・徳永道雄訳、解説)、中央公論社、1995年
  • 高崎直道『和訳・涅槃経』、東京美術、平成5年
  • 親鸞・金子大栄校注『歎異抄』、岩波文庫(青318-2)、1931年初版 
  • 『大乗仏典中国・日本編第22巻 親鸞』(梶山雄一訳、解説)、中央公論社、昭和62年

京都大学教授・梶山雄一による解説「仏教思想史における親鸞」(305-430頁)は親鸞研究に大変有益な論文である。

5. 日蓮の著作

  • 『大乗仏典中国・日本編第24巻 日蓮』(藤井学訳、解説)、中央公論社、1993年
  • 渡辺宝陽・小松邦彰編『日蓮上人全集 第一~七巻』、春秋社、1992年から1996年[読み下し文と現代語訳対照のもの

全集に収められている日蓮の著述はほとんどが真筆からの翻訳である。

6. 江戸時代の著作

  • 『大乗仏典中国・日本編第27巻 白隠』(常磐義伸訳、解説)、中央公論社、1988年

白隠は江戸時代のもっとも著名な禅僧(臨済宗)であるが、白隠と法華経には深い繋がりがある。この本の「息耕録開筵普説」の注につぎの一節がある。「享保十一年、四十二歳の白隠は”一夜、法華経を把りて読み、乍ちに法華の円頓・真正の奥義を徹見し、最初の一団の疑惑を打破し従上多少の悟解了知大いに錯り了せるを覚得し、覚えず声を放ち啼泣す”と述べる」とある(228頁より引用)。

7. 初期の大乗仏典

ナガルージュナの著作

  • 『大乗仏典第14巻 龍樹論集』(梶山雄一・爪生津隆真訳、解説)、中央公論社、昭和49年

仏教文学

  • 『大乗仏典第13巻ブッダ・チャリダ-仏陀の生涯-』(原実訳、解説)、中央公論社、昭和49年
  • 上田祖峯『遺教経ー釈迦の最後に残した真理の花束ー』、三省堂、1993年
  • 中村元・紀野一義訳『般若心経・金剛般若経』、岩波文庫(青303-1)、1960年

8. 昭和初期の著作

  • 姉崎正治『法華経の行者 日蓮』、講談社学術文庫(596)、1983年
  • 鈴木大拙『日本的霊性』、岩波文庫(青323-1)、1972年
  • 新渡戸稲造『武士道』、岩波文庫(青118-1)、1938年
  • 柳宗悦『南無阿弥陀仏』、岩波文庫(青169-4)、1986年

姉崎も鈴木も新渡戸も国際的に活躍したことで名高い。姉崎は東大教授であった。大正5年ハーバード大学からNichiren, the Buddhist Prophetを刊行したが、同年この日本語版が博文館から出版された。この日本語版の改訂版は昭和8年に出版されるが、これが上記の姉崎の著書である。鈴木の著書の初出は昭和19年。新渡戸はキリスト者であるが、武士道を正しく国際的に伝えた。柳宗悦は民芸品の概念を確立した人で、日本人の精神の一面を鋭く捉えた。柳の著書の初出は戦後間もない昭和26年。

9. 鎌田茂雄の解説書

鎌田茂雄略歴

鎌田は陸軍幼年学校の出身で予科士官学校在校中に終戦を迎えた。軍人としてエリート教育を受けた経歴の者は終戦直後、制度的にも精神的にも行き場を失う。駒澤大学仏教学部に進学。澤木興道老師の下で参禅。さらに、東京大学大学院へ進学。東京大学東洋文化研究所の教授を長年務めた。朝鮮仏教史で栄誉ある学士院賞を受賞している。昭和2年生まれ。平成13年5月12日逝去。

私は、社会ゲーム理論の脈絡で、「華厳ゲーム」を発案したが、これは鎌田の解説書『華厳の思想』167頁から着想を得たものである。

  • 鎌田茂雄『禅とはなにか』、講談社学術文庫(409)、1979年
  • 鎌田茂雄全訳注『凝然大徳・八宗綱要』、講談社学術文庫(555)、1981年
  • 鎌田茂雄『[宮本武蔵]五輪書』、講談社学術文庫(735)、1986年

神仏は敬うが頼らずの宮本武蔵も、観音経信仰に帰依していた。観音経は法華経の一章(観世音菩薩普門品第二十五)である。

  • 鎌田茂雄『華厳の思想』、講談社学術文庫(827)、1988年
  • 鎌田茂雄『観音経講和』、講談社学術文庫(1000)、1991年
  • 鎌田茂雄『法華経を読む』、講談社学術文庫(1112)、1994年